日本は組織による「ものづくり(製造)」を神格化したが、米国は個人による「システムづくり(デザイン)」を神格化した。


http://www.ebook2forum.com

の記事より


 抽象化能力は論理思考、数量化思考とイコールだが、米国は偉大な人材を生み、育て、受け容れて存分に活躍できる場を提供することで最大のソフトウェア産業とWebビジネスを築いた。日本は逆に、学校教育で抽象化能力を退化させ、この「異能」者を隔離して実社会での権力を与えなかった。日本は組織による「ものづくり(製造)」を神格化したが、米国は個人による「システムづくり(デザイン)」を神格化した。優劣の問題ではないが、ビジネスにおいてより柔軟なシステムが要求されるようになった1990年代以降、日本の社会システムはテクノロジーパラダイムの変化に遅れ始め、逆に社会システム(中心的にはカイシャ)を護るために硬直性を強めている。最近ではインドと中国という、論理に強い国が台頭し、短期間に日本を抜き去った。

http://www.ebook2forum.comは、デジタル出版技術/サービスに関する国際的な動きをフォローするフォーラムで、
この文は、機械印刷→E-Bookというパラダイムシフトに対する日本の関係の戸惑いと見当違いに警鐘を鳴らしている記事の一部なのだが、
国際的な視点から日本のソフトウエア産業の現状を的確に切り取った表現の1つだと思う。


MM(人月)文化...

最近、海外の企業とプロジェクトの立ち上げですったもんだやってるんだけどアプローチの違いを痛感する。

(海外の)彼らは、アジャイル(スパイラル、イテレーティブ)をプッシュするのだけど、国内側はエンプラ受託背負ったガチな人ばっかだから、というより、非ウォーターフォールの実績がない人ばっかだから、話は永遠に平行線。


オイラ、非ウォーターフォール(というよりユルいプロジェクト)経験もそこそこあるから、肯定派なんだけど、品質監査だとか標準化だとかの看板掲げた立場で仕事するとなると、純ウォーターフォールの立場を取らざるを得ない;
例えば、
「(このプロジェクトは)総工数が400MM。この時の標準工期(人月の立方根の2.4倍)が14ヶ月なので、8ヶ月というこのスケジュールは納期遅延か品質低下の可能性があります。」
なんていうレポートを何度も書いている...


http://www.publickey1.jp/blog/10/post_124.html
こんな事例も増えているのだけど、パラダイムシフトの波が多くの実際の現場まで来るのは、2桁年はかかるんじゃないだろうか...



ちなみに(話は逸れて)...


全体性を持ったまとまりのある構造(Gestalt: ドイツ語で形態)から全体性が失われ、個々の構成部分にバラバラに切り離して認識し直されてしまう現象
だとか。


認知心理学では「文字のゲシュタルト崩壊」現象というものがあり、

同じ漢字を長時間注視しているとその漢字がバラバラに見えたりする現象。

だとか。


『重大な事柄にフォーカスするあまり潜在的根本要因の追及を忘れ枝葉の議論になってしまう会議』
などが身近な例?